京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

醍醐寺 ~晩年の秀吉も愛でた醍醐の桜 

平安時代から「花の醍醐」と呼ばれるほどの桜の名所・醍醐寺世界文化遺産の境内を背景にシダレザクラソメイヨシノヤマザクラ、ヤエザクラなど数多くの桜が次々と咲き誇ります。豊臣秀吉が晩年、贅を尽くした「醍醐の花見」を行ったことでも知られています。今回は秀吉に思いを馳せながら、醍醐の桜を愛でてみたいと思います。

 

醍醐寺の場所

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醍醐寺の行き方

電車で

・京都駅からJR東海道本線琵琶湖線)または湖西線約5分で「山科駅

  そこから地下鉄東西線に乗り換え約10分の「醍醐駅」で下車し、徒歩約12分

・京都駅からJR奈良線で約18分で「六地蔵駅

  そこから地下鉄東西線に乗り換え約5分の「醍醐駅」で下車し、徒歩約12分

 

バスで

 ・京都駅八条口からホテル京阪前の「H4乗り場」から

  京阪バス「京都醍醐寺ライン」約30分の「醍醐寺」で下車

 ・JR山科駅から京阪バス1番乗り場(22,22A 系統乗車)約20分の「醍醐寺」で下車

 ・京阪六地蔵駅から京阪バス2番乗り場(22,22A系統乗車)約15分の「醍醐寺」で下車

 ・JR六地蔵駅から京阪バス22,22A 系統乗車 約11分の「醍醐寺」で下車

 

地下鉄醍醐駅から醍醐寺までの行き方は以下で詳しくご紹介しています。

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醍醐寺とは

醍醐寺真言宗醍醐派の総本山で、貞観16年(874)、弘法大師空海の孫弟子 理源大師聖宝により開創されました。醍醐山全体を寺域とし、山上の上醍醐、山下の下醍醐からなる200万坪以上の広大な境内を持ちます。国宝や重要文化財を含む約15万点もの寺宝を所蔵し、世界遺産にも認定されています。豊臣秀吉が「醍醐の花見」を行った桜の名所としても有名で「日本のさくら名所100選」にも選ばれています。

 

秀吉と醍醐の花見

「醍醐の花見」とは、慶長3年3月15日(1598年4月20日)、豊臣秀吉がその最晩年に醍醐寺三宝院裏の山麓・槍山において催した花見の宴のことです。秀吉は、豊臣秀頼北政所淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な花見であったと言われています。

その「醍醐の花見」に先立つ前年三月に、秀吉は醍醐寺を訪れ桜を観賞しています。その時の美しさが忘れられなかったのか、翌年二月、醍醐寺に花見の下見に訪れ、仁王門の修理や醍醐寺のあった醍醐山の「槍山」に御殿数宇の建築を命じています。そして桜の馬場から槍山に続く三百五十間(約637m)の左右に「七百本」の桜が植えられましたが、これは畿内や吉野の桜を移植したものでした。今も醍醐寺の総門から仁王門に続く桜の馬場に咲く桜の光景は、秀吉が醍醐の花見の為に植えたものだったのです。

参加した1300人の女性にはそれぞれ二度お色直しを命じられました。3900着の着物を新調する費用は現在の40億円弱にあたるほど。実はこの2年前の1596年に慶長伏見地震があり、伏見城天守や東寺、方広寺大仏等が倒壊し、死者は1000人を越えたそうです。人々の心がしぼんでいた中、秀吉には「醍醐の花見」でそんな京の町を元気づけたいという思いがあったのではないかと言われています。

多くの人が招かれた醍醐の花見ですが、諸大名は伏見城から醍醐寺までの沿道の警備や会場に設営された茶屋の運営などにあたったものの、花見に招かれたのは女性ばかりで、秀吉・秀頼の他には唯一前田利家のみが男性として招かれたそうです。

秀吉は武士として初めて関白に任じられましが、晩年は朝鮮出兵などあまり評判が芳しくなかったようです。そんな中、死期を悟った秀吉が、ごく近しい家族や信頼していた前田利家、そして多くの女性を招き壮麗な醍醐の花見を催したのは、自分が愛した人々に自分のことを桜の美しさとともに記憶にとどめて欲しいという願いがあったからではないかと思えてなりません。

 

このような醍醐寺と秀吉の深いつながりに思いを寄せながら、咲き誇る桜に包まれた醍醐寺を巡って行きます。

 

総門から桜の馬場を経て仁王門へ

今回のスタートは醍醐寺の総門です。「花の醍醐」の名の通り、早速立派なシダレザクラが出迎えてくれます。

 

総門を入るとすぐ左手にあるのが三宝院です。こちらは醍醐寺の受付も兼ねているので、桜の時期は多くの参拝者が三宝院の入口に並んでいました。(写真を撮り忘れたので、下の写真は昨年の冬に訪れた時のものです)

こちらの拝観受付で拝観券を購入し三宝院に入ります。なお、拝観券は下醍醐の有料エリア(三宝院・霊宝館・伽藍)を全て拝観出来ます。

あまりに多くの参拝者が並んでいるので途方に暮れていると、参拝者の行列を整理されているスタッフの方が「拝観券は仁王門でもお求めいただけます。そちらの方があまり並ばないと思います。どちらで購入されても三宝院・霊宝館・伽藍を拝観いただけます」と大きな声で呼びかけておられました。そこで私はすぐに仁王門へ向かい、先に伽藍を拝観することにしました。

 

三宝院の前の参道は、正面の西大門(仁王門)までまっすぐ伸びる「桜の馬場」と呼ばれています。こちらは昨年の冬の写真です。

 

そしてこちらが先日の写真。桜で埋め尽くされた桜の馬場を楽しみながら、次から次へと参拝者が仁王門へと向かっています。それでも多くの参拝者の順路としては「三宝院→仁王門(伽藍)」というのが一般的なようで、仁王門で拝観券を購入する人は数人だったため、私はすぐに仁王門に入ることが出来ました。

 

伽藍周辺の桜

仁王門から中へ入ると、参道は「桜まつり」のぼんぼりや幕が張られ華やかな雰囲気です。

 

清瀧宮本殿と清瀧宮拝殿

仁王門を入り最初に見えてくるのが清瀧宮本殿と清瀧宮拝殿です。

醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社です。永長2年(1097)に最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました。その後この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになりましたが、文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517)に再建され、慶長4年(1599)、座主・義演(ぎえん)僧正により拝殿が整備されました。毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われます。桜会の行われる場にふさわしく、あふれるように咲き誇る桜の花に囲まれています。

 

五重塔

醍醐天皇の冥福を祈るために、朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。初層の内部には両界曼荼羅真言八祖が描かれており、日本の密教絵画の源流をなすものと言われています。高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。京都府下で最も古い木造建築物です。951年というと現在大河ドラマで放映中の『光る君へ』の紫式部藤原道長などが生まれるよりも以前のこと。彼らもこの五重塔を見上げたかもしれないのです。そんなに昔からこの地に立ち、応仁の乱の戦火もくぐりぬけ、途中修復はされてきましたが今も立派に当時の姿を残していると思うと、本当にその歴史の重みを感じずにはいられません。

下から見上げた写真なので、相輪が塔の三分の一というのが分かりにくいかもしれませんが、周囲の人物との対比で五重塔の大きさが伝わるでしょうか。

豊臣秀吉応仁の乱で荒廃した醍醐寺を復興するため、醍醐の花見の前年、かろうじて残っていた五重塔の修理に着手して以降、金堂、金剛輪院(現在の三宝院)などの伽藍の再興を行っています。

 

 

金堂

醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された金堂は、当時は釈迦堂と言われていましたが、二度焼失し、現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成。この金堂が醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像醍醐寺の本尊です。

 

 

不動堂

 

 

真如三昧耶堂

 

日月門をくぐり、更に奥へ進みます。

 

観音堂

この観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼びます。これら諸堂は醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄居士の寄進により増築されたものです。

醍醐寺御朱印を初め、各種御朱印はこの観音堂で授けていただきます。

 



弁天堂

 

ここまでで下醍醐の伽藍を拝観し終わり、来た道を戻りました。

 

三宝

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建され、以来醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。現在の三宝院は、豊臣秀吉が慶長3年(1598)に催した「醍醐の花見」を契機として整備されました。その庭園は、秀吉自らが基本設計したもので、国の特別史跡特別名勝に指定されています。その庭園全体を見渡せる表書院(国宝)をはじめとする建造物の多くが重要文化財に指定されています。

 

三宝院のシダレザクラ

醍醐寺の桜というと特に有名なのが、この三宝院の門を入ってすぐの所に植えられた大きなシダレザクラです。一本一本が大きくて枝ぶりも見事です。

 

特別名勝三宝院庭園

慶長3年(1598)に豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催した際に、自ら三宝院の庭園の基本設計をしたといい、各地の大名から集めた名石を配した庭園は桃山文化の特徴である華やかさと勇壮さが感じられる造りとなっており、国の特別名勝及び特別史跡に指定されています。秀吉は醍醐の花見の直後から作庭に着手したものの、庭園の完成を待たずに亡くなりますが、その後も醍醐寺座主・義演准后や石組みに携わった庭者・仙、与四郎、賢庭たちにより作庭は継続され25年後にようやく完成しました。

 

天下の名石「藤戸石」

庭園中央の池の向かい側にある三尊石組みの中央にある立石です。「天下を治める者が所有する石」として室町時代から歴代の権力者によって引き継がれてきたもので「天下の名石」と言われています。「醍醐の花見」の後、秀吉の命により聚楽第より移設されました。秀吉は自分が一番大事にしていた石をこの庭園に据えたほど、この庭園は秀吉の思いが詰まったものだったのですね。

純浄観(重要文化財

純浄観は秀吉が「醍醐の花見」で使用した建物を槍山から三宝院へ移築したものと言われています。内部の襖絵の桜・紅葉図などは平成に入り浜田泰介画伯により描かれました。通常は非公開です。(この日も公開されていましたが、内部の写真を撮り忘れたので、この写真は昨年の冬に撮影したものです)

 

純浄観は庭に面した表書院から更に一段高い場所にあるので、景観がぐっと広がり、名石「藤戸石」をのぞむことが出来ます。

 

霊宝館の桜

霊宝館では醍醐寺が所蔵する国宝や重文だけで7万5千点以上、未指定の文化財を含めると約10万点以上に及ぶ寺宝を収蔵しています。それらは日本の仏教史や美術史上非常に貴重な資料の数々で、寺院の宝物館としては最大規模です。何故ここまで多くの文化財醍醐寺に残っているかというと、京都の主な寺院は明治の廃仏毀釈の流れの中で、宝物を手放しお金に換えることで存続せざるを得なかったという歴史がありますが、醍醐寺はそれをしなかったからだそう。

 

そんな霊宝館の敷地内にも、醍醐大しだれ桜を初め、約40本の桜の木があります。

霊宝館の建物をぐるっと囲むように、あちらにもこちらにも大きな桜の木が。この桜もまた、霊宝館の中に納められた多数の宝物に負けない醍醐寺の宝なのかもしれません。

 

 

 


醍醐の花見を終えてわずか5カ月後に秀吉は亡くなりました。醍醐の花見を計画した時に、すでに秀吉は自らの死期を悟っていたのかもしれません。一世一代の華麗な花見の宴を催すことで、自らの人生の最後に花を咲かせたかったのでしょうか。

醍醐寺の広大な境内の至る所で桜が咲いているので、醍醐寺を参拝するだけで五つぐらい桜の名所を巡ったかのような満足感がありました。桜の名所だけに、お花見シーズンは多くの参拝者で込み合う醍醐寺ですが、それでも一度は訪れてみたいおすすめスポットの一つです。

 

 

醍醐寺塔頭 理性院もおすすめです

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京都の桜の名所あれこれ

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TEA ROOM KIKI ~築100年の郵便局跡で優雅なティータイムを

JR嵯峨嵐山駅から徒歩3分、嵯峨嵐山駅から嵐山方面へ向かう観光客で賑わう通り沿いに、白とブルーの色合いが可愛いレトロなカフェがあります。私は二年ほど前に初めて伺ってから、木のぬくもりを感じるお店の雰囲気と、スイーツや紅茶の美味しさが気に入り、大好きなカフェの一つになりました。今回は近所の友人3人でランチに行ってきましたのでご紹介します。

 

 

 

TEA ROOM KIKI 京都・嵐山本店の場所

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TEA ROOM KIKI 京都・嵐山本店の行き方

電車で

 JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅」から徒歩3分

 京福電鉄 「嵐電嵯峨駅」から徒歩1分

 阪急電鉄「嵐山駅」から徒歩18分

 

嵯峨嵐山駅からTEA ROOM 京都・嵐山本店への行き方

今回のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。改札を出たら、南(左)、嵐山方面へ向かいます。

 

南を向いたところです。南口へ向かって階段を降ります。

 

階段を降りたら、斜め左へ進みます。

 

南口を出て、斜め左を向いたところです。三叉路になっているので、南(右手)へ向かいます。


ゆるやかな坂道を南へ下っていきます。


180mほどゆるやかな坂道を下ると、左手に京都銀行があります。この四辻を西(右)へ向かいます。画面右手に写っている白い車の方向です。

 

西を向いたところです。この道を40mほど進みます。

 

右手にTEA ROOM KIKIがあります。地元の私は、以前この場所にあった木造のレトロな郵便局のことも覚えています。その建物が2021年にリノベーションされ生まれ変わったのがTEA ROOM KIKIなのです。レトロでおしゃれな外観と、おいしそうなメニューの看板に惹かれて、立ち止まっている観光客の方もたくさんおられました。

 

 

TEA ROOM KIKI 京都・嵐山店とは

TEA ROOM KIKIは、イギリススタイルのティールームです。日本人の味覚に合う茶葉を厳選し、紅茶と自家製スコーンを味わう「クリームティー」という文化の発信を目指しています。この「クリームティー」、クリーム入りの紅茶、というわけではなく、スコーンと紅茶のセットを意味するイギリスの喫茶習慣のことだそうです。スコーンにクロテッドクリームという濃厚なクリームが必ずセットでついてきて、スコーンにたっぷり塗って食べることからクリームティーと呼ばれるようになったそうです。

写真左下の白いクリームがクロテッドクリーム

 

TEA ROOM KIKI紅茶&スコーン専門店は、京都・嵐山本店を始め、梅田、名古屋、日比谷にも店舗があります。そのうち京都・嵐山店は、築100年の郵便局跡地をリノベーションしたレトロな空間で、イギリスの老舗陶器ブランド「バーレイ」の食器を使用したお食事を提供しています。優美な絵柄を愛でながら、ランチタイムやアフタヌーンティーを楽しみ、ゆったりとした時間を過ごして欲しいとのことです。

色鮮やかで繊細な絵柄のティーカップが店内のカウンターに並びます。

 

 

クリームティー付きサンドウィッチのランチ

今回私たちは、そんなクリームティーがセットになったサンドウィッチのランチをオーダー。私は鶏むね肉とキャロットラぺのサンドウィッチにしました。ちなみにこのサンドウィッチには、サラダとオムレツもつきます。

手前左から鶏むね肉とキャロットラペのサンドウィッチ(2,442円)、奥はアールグレイツナのサンドウィッチ(2,442円)、手前右はスモークサーモンのサンドウィッチ(2,464円)いずれもサラダ、オムレツとスコーン&ティーフリー付

 

私がオーダーした鶏むね肉とキャロットラぺのサンドウィッチのお味は…

鶏むね肉はしっとりとやわらかで、添えられたキャロットラぺの甘酸っぱさにセミドライトマトの濃厚な甘みと香ばしいくるみが良いアクセントになっています。上に載ったアルファルファとキュウリはシャキシャキ、赤いエディブルフラワーが華やかさをプラス!ふんわりとした優しい甘さの食パンがこれら全てをまとめて、かなり食べ応えがあります。

 

先に提供されたサラダは発酵玉ねぎとリンゴのドレッシングが爽やかな甘さで、自家製バスク風オムレツにはしめじ、エリンギ、ブロッコリー、ニンジン、ベーコン、枝豆などが入って一口ごとに様々な味や食感が楽しめて、これも結構ずっしりとボリュームがあります。

先に提供されたオムレツとサラダ

 

そして私が最も楽しみにしていたのが、先にご紹介した手作りスコーン!スタッフの方のアドバイスに従い、半分に割って、ジャムとクロテッドクリームをたっぷり塗っていただきます。北海道産契約栽培の小麦粉と国産バターを使用したスコーンは、ほんのり温かく表面はサクッと、内側はホロっとした優しい歯ざわりで、濃厚なクロテッドクリームと甘酸っぱいラズベリージャムを塗ると、サンドウィッチでお腹いっぱいのはずなのに、幾らでも食べられそうでした。

バラエティ豊かなティーフリーのメニュー

 

更に、KIKIのこだわりでもある、ティーフリーは20種類以上ある茶葉からスタッフおすすめの様々なお茶を随時淹れていただけます。このティーフリー、自分で選ぶことは出来ないのですが、その分、自分では選ばないような様々な味のお茶を楽しむことが出来て、「次はどんな味かな?」とワクワク!1時間半ほどの食事時間中に6~7杯はいただきました。私が一番気に入ったのは「翡翠レモン」というお茶。これは緑茶とジャスミンをベースにレモングラス、ペパーミント、コーンフラワーブレンドした爽やかな味で、しっかりした味のスコーンを食べきった後の満腹感を落ち着かせてくれ、後味をすっきりさせてくれました。その他にもアールグレイをベースにバニラとラズベリーを効かせた甘い香りのベリーフレジェや、しっかりした紅茶らしい香りとまろやかな香りが特徴のビンテージゴールデンも美味しかったです。

 

カップも一人一人違うデザインのもので提供され、見比べるのも楽しい!

 

歴史ある元郵便局の店内

店内には、たくさんの種類の茶葉やバターサンドなどのお菓子が、これまたアンティークな棚に美しく並んでいます。この棚は元の郵便局から引き継いだものだとか。リノベーションしたとは言え、レトロな店内の雰囲気に元々この場所にあった棚はしっくり馴染み、新たな役割をしっかり果たしていました。

 

このお店で出会って気に入った紅茶やスコーンなどは、このレトロな棚などに並んでいて購入することが可能です。今回一緒にランチをいただいた友人も自宅用に茶葉を購入していました。

 

今回はグランドメニューのサンドウィッチのランチをいただきましたが、季節の果物などを使用したアフタヌーンティーなども人気だそうですので、次回は優雅なティータイムを楽しむのもいいな…と思いました。

写真:TEA ROOM KIKIで提供されているアフタヌーンティ「いちご泥棒」(2024年4月30日まで)を紹介するパンフレットより

TEA ROOM KIKIは天龍寺まで徒歩5分、京福電鉄嵐山駅へも徒歩7分ほどですので、観光の休憩に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

 

嵯峨嵐山周辺にはたくさんのおすすめスポットがあります。

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鳥羽離宮跡公園から城南宮へ ②城南宮 ~しだれ梅や椿が咲き乱れる神の苑

京都には桜の名所はたくさんありますが、しだれ梅の名所はあまり聞いたことがありません。そんな中、京都随一とも言われるしだれ梅の名所が城南宮です。社殿の西に広がる「春の山」では、150本のしだれ梅が薄紅色や紅白の花を咲かせ、春の訪れを告げます。特に同じ敷地に多数植えられたもう一つの名物 椿とのコラボレーションは、ここ数年SNSでも大人気です。

今回は「まいまい京都」が企画する「鳥羽離宮 枝垂れ梅と椿で一面春色、庭師とめぐる城南宮神苑~春の山から平安・室町・桃山の庭へ、史上空前規模の離宮跡~」というツアーに参加し、二回に分けてご紹介します。

2回目はいよいよ、枝垂れ梅の咲き乱れる城南宮をご紹介します。

 

「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。

 

京都のミニツアー「まいまい京都」

ユニークなガイドさんと京都を歩こう!「京都・春のパンまつり!かわいい町家パン屋さんの工房へ」「ブラタモリ記念、京都高低差崖会と御土居でOh!」「京都本ライターと乙女なカフェめぐり」など、全260コース。
 
今回もツアーガイドは京都生まれの三浦豊さん。庭師の視点から各地の森や庭園を案内されています。今回のツアーでも随所に庭師としての独自の視点から、鳥羽離宮跡や城南宮の見どころを案内していただきました。
 
まいまい京都の三浦豊さんの紹介ページ
 

城南宮の場所

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城南宮の行き方

電車で

 ・地下鉄、近鉄竹田駅」下車、徒歩約15分

 

 

バスで

 京都駅八条口から 

  ・らくなんエクスプレス(八条口E①乗り場)で約5分「城南宮前」下車

   徒歩5分(平日のみ運行)

  ・市バス19系統(八条口F ②乗り場)で約22分「城南宮」下車徒歩5分

   1時間に1本運行

 京都駅烏丸口から

  ・市バス19号系統(C④乗り場)で約30分「城南宮」下車徒歩5分

   1時間に1本運行

 

 

バスで行かれる場合は、本数が少ないので、行きかえり共に運行時間を確認してください。

 

このツアーの前半、鳥羽離宮跡公園の様子はこちら

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城南宮の鳥居

今回のスタートは城南宮の西の鳥居です。

西の鳥居は氏子の寄進によって文久元年(1861)に建てられ、扁額の「城南離宮」の字は関白九条尚忠の書です。

「城南離宮」は、前回ご紹介した鳥羽離宮の別名で、白河上皇鳥羽上皇院政の拠点としました。江戸時代にはこれを城南宮の社号のように用いていました。

慶應4年(1868)正月3日の鳥羽伏見の戦いの際は、この西の鳥居と鳥羽街道を結ぶ参道に薩摩の軍勢が4門の大砲を据え、旧幕府軍を迎え撃ったそうです。

 

西の鳥居を入り、120m程進むと北側(左手)に見えてくるのが朱塗りの城南宮鳥居です。

この城南宮鳥居、よく見ると実はちょっと鳥居の常識とは違った珍しい様式だとか。

参考:魂京都「よく見ると少し変わった鳥居」

http://soulkyoto.blog.fc2.com/blog-entry-847.htmlより

 

鳥居には大きく分けると「神明鳥居(直線、直角を用いたシンプルな形)」と「明神鳥居(角度をつけて装飾的な造り)」の二つに分類されます。

上の写真の城南宮鳥居は神明鳥居に分類されていますが、明神鳥居の特徴も併せ持っています。

神明鳥居の特徴:額束がなく、貫が柱を突き抜けていない

明神鳥居の特徴:笠木と島木の二層で、笠木と島木の両端に反りあがりがある

        棟(笠木と島木)には屋根を葺いている

そして、城南宮鳥居の最大の特徴は、島木の中央、明神鳥居なら扁額のある位置に、城南宮の「日・月・星(右下の小さい丸)」の三光のご神紋が打たれていることです。

神紋の「三光の紋」は神功皇后旗印によるもので、昼夜の隔てなく、あまねく及ぶ城南宮の神徳を表すものだそうです。

城南宮とは

創立年代は不詳ですが、平安遷都に際し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と八千矛神(やちほこのかみ:大国主神の異名)と神功皇后(じんぐうこうごう)を祀り、以来都の南方に鎮まり国を守護する城南宮と仰がれています。

平安時代末期、白河上皇がこの地に壮大な離宮を造営して院政を開始すると、政治・文化の中心となりました。

鳥羽離宮の再現図。広大な池の中ほどにある島にあるのが城南宮

 

平家物語』の舞台でもあり、当時天皇家で盛んに行われていた熊野詣の際には、度々上皇方の方除け(ほうよけ)の精進所(しょうじんどころ)にあてられ、旅の安全が祈願されました。

今日、方除けの大社城南宮として篤く信仰され、家庭円満や厄除け、安全祈願、車のお祓いなどで全国から沢山の参拝者で賑わっています。

また、曲水の宴が行われる神苑は、しだれ梅、椿、桜、藤、躑躅、青もみじ、秋の七草や紅葉に彩られ四季を通じて草花を愛でる人が絶えません。

 

菊水若水(手水舎)

先ほどの城南宮鳥居のすぐ手前にあるのが手水舎で、こちらの水は名水「菊水若水きくすいわかみず)」という地下水が使用されているため、冬は温かく、夏は冷たいそうです。東大寺のお水取りに用いる香水は、若狭の遠敷川からこの菊水若水の下を通り、二月堂の若狭井に至ると伝えられています。

 

本殿

本日のメインイベント、神苑を訪れる前に、まずは本殿を参拝します。

こちらは本殿の前殿です。本殿・前殿・向背・翼廊からなる素木(しらき)造りの社殿は、城南宮独自の優美な佇まいです。1977年に本殿が焼失しましたが、翌1978年に再建されました。ガイドで庭師の三浦豊さんによると、前殿の前にある松の木は神が降り立つ場所、神を「待つ」場所、神が降臨する場所を意味するそうです。松は一年中青々として、岩の上でも生きられるとても生命力あふれる木なので、ここぞという聖地には松が植えられていることが多いそうです。

 

神苑(楽水苑)

城南宮の庭園「楽水苑」は、昭和の小堀遠州と讃えられた天才造園家・中根金作が造園家として最初に手掛けた京都で最も大きな庭園です。源氏物語に登場する草花80種以上が用いられ、「源氏物語 花の庭」とも呼ばれています。中根金作は、最初に「室町の庭」と「桃山の庭」を作庭、その後「平安の庭」と「春の山」を作庭し、晩年には「城南離宮の庭」を作庭、生涯をかけて城南宮の神苑の作庭に携わりました。

今回は「春の山」と「平安の庭」を見学しました。

入ってすぐのところに大きな楠が。伸び放題でぐねぐねです。楠は体があまり固くなくて折れやすいので、街中や公園に生えていると危ないので切られることが多いのですが、この場所は神社つまり神域なのでむやみ切られることが無く、楠の自然な姿が

見られるとのこと。

 

椿がずらりと植えられています。城南宮の神苑にある椿は、品種の多さでは西日本一だそうです。楽水苑は中根金作が「参拝者の憩いになるように」と作庭したもので、椿もこの時に植えられたそうです。

 

春の山

椿、枝垂れ梅、三つ葉ツツジと春の草木が次々と花開く「春の山」エリア。白河上皇は城南離宮を築く際に、『源氏物語』に描かれた光源氏の大邸宅すなわち四季の庭を備えた六条院をモデルにしたといわれ、ここ「春の山」 と対を成す「秋の山」が、前回ご紹介した通り、国道を隔てた西側に広がる史蹟「鳥羽離宮跡公園」内にあります。

ここ春の山も千年前からあった地形であり、この地形を生かし中根金作が手を入れ、非常に経営が苦しかった城南宮の目玉として、しだれ梅を植えたそうです。京都には桜の名所が沢山ありますが、しだれ梅の名所は無かったためだそう。非常に巧妙なブランディング戦略であったのです。

白梅と紅梅が絶妙なバランスで植えられ、何とも華やかですね。前日の雨で散った花びらが絨毯のように広がり、鮮やかさが増しているように見えます。

写真左端の燈篭の横に小さな滝があります。わざと高低差をつけて石を配置し、水の音が反響するようにしているそうです。日本庭園では水の音をとても大切にしていて、水蒸気によってその場を清めているという意味があるのだとか。

しだれ梅は梅の突然変異種です。枝の成長が非常に早いので、枝が垂れているそう。しだれ梅だけでなくしだれ桜もそうですが、特徴としては非常に風に強いとのこと。台風の多い日本のような地域では生きていくのに有利で、突如現れる品種だとか。梅や桜だけでなく、シダレエノキやシダレアンズなどもあるそうです。

 

春の山では、地形を生かして、わざと道をくねくねと曲げているそうです。参拝者の視線も左右に振られ、一足ごとに見える景色が変わり趣き深いですね。

 

春の山を更に奥へと進むと、薄暗く苔むしたエリアに椿が沢山咲いています。そしてその向こうには、しだれ梅のカーテンが…苔の上に落ちた椿の花は、掃除せずにわざとそのままにされているとか。苔の緑、椿の赤、そしてしだれ梅のピンク色が得も言われぬ幻想的な美しさ!参拝者がこぞってカメラを向けているスポットです。

 

なぜこちらに椿が多く植えられているかと言えば、椿は「木偏に春」、そしてここは「春の山」ということで、春つながりで椿が多数植えられているのだそうです。

薄暗い苔の上に落ちた赤い椿の花が妖艶な美しさですね。

椿というと、花びらが一枚一枚落ちるのではなく、花ごとポトリと落ちますね。この理由は、花びら一枚一枚がしっかりくっついていると花が強くなり、開花期間が長くなるためです。椿は寒い時期に咲き、受粉を助ける動物たちの活動も弱い時期なので、開花期間をなるべく長くするためなんですね。ちなみに花は筒のように落ちますが、真ん中にある受粉した雌しべはちゃんと木に残っていて実は落ちないそう。自然の営みは本当にうまくできていますね!

椿の木の根が地表の表れているのは、ご神域でいつも地面を箒で掃き清められているからです。土が洗われて根っこが露わになっているのだそう。ご神域ならではの風景なのですね。

 

苔むした椿の森を抜けると、本殿の裏手に出ます。こちらには赤松が植えられています。神苑に入る前に参拝した本殿の前殿には黒松が植えられていました。海岸沿いに生えるので波しぶきや海風に耐えるため、葉も固く、非常に猛々しく力強いので「雄松(おまつ)」と呼ばれます。対して京都の周辺に生えているのは、ほとんどが赤松です。葉が柔らかく、海風に耐える必要も無いので、柔らかい図形になりやすく「雌松(めまつ)」と呼ばれます。パワーあふれる松の雄と雌を植えることによって、この神社の繁栄、今後も神様の顕れるパワーを宿す聖地としてあり続けるようにという祈りがこめられているのだそう。参拝者はしだれ梅を見に来るので、全て梅を植えても良さそうなものですが、神域としての節度も大切にされるところが、神社の尊いところだと三浦さんは話されていました。

そしてこちらには七本の松の木が植えられています。七と言えば北斗七星、城南宮は方除けの神様なので、方角を指し示す北斗七星を松で表しているとか。松の木の数にもちゃんと意味があるのですね!

 

平安の庭

さて、春の山を後にして、次に向かったのが「平安の庭」です。

平安時代の貴族の邸宅、寝殿造の庭をモデルにしています。庭を広く見渡すと、寝殿造を模した神楽殿から木々の影を映す池に続きます。この池には中ノ島があり、階段状の滝から清流が注ぎ、二筋の遣水(やりみず・小川)が流れています。

現存する平安時代の庭は大覚寺平等院の庭園など数えるほどですが、中根金作が戦後になって、平安時代の庭園をモデルとして、ここ「平安の庭」を再現しました。その特徴は、川の流れが曲がっている(曲水、または遣水)、それから石組は群れている犬が伏せているような優しい石組みです。これは平安時代に出来た『作庭記』~自然の状態に抗うことなく庭造りをしなさいという世界最古の庭づくりの秘伝書~に従っているそうです。

 

京都の他の池には無い特長として、こちらの池の水はみんな地下水です。だから水が澄み切っています。

 

更に進むと王朝の雅を偲ばせる曲水の宴が催される苔の庭が広がっています。画面の右端にほんの少し写っているのが、今年から平安の庭にも植えられたというしだれ梅です。

 


今回のツアーはここまでです。

城南宮の神苑は本当はこのほかに「室町の庭」「桃山の庭」「城南離宮に庭」という三つの庭もあるのですが、しだれ梅で参拝者の多いこの時期は、残念ながら閉鎖されています。

中根金作が最晩年に作庭した「城南離宮の庭」は、城南宮の一帯が最も華やかであった平安時代後期の様子を表す枯山水の庭園だそうです。ちょうど、今回のツアーで鳥羽離宮跡公園の秋の山から城南宮へと歩いてきたその全貌を枯山水で表したものと言え、本来ならこのツアーのまとめとして是非訪れたかったと三浦さんもおっしゃっていたのですが…他の季節も様々な草木で彩られ大変美しいとのことなので、また別の時期に訪れてみたいと思います。

今回のツアー①と②を通して、三浦さんの庭師としての知識と視点が満載のとても興味深いツアーでした。今までは、何故この場所にこの木や花がこのように植えられて(あるいは生えて)いるのか、という観点で植物を見るということがありませんでした。今後他の庭園や寺社仏閣を訪れる際にも、このような視点を持って見てみると、また新たな発見がありそうです。

 

 

鳥羽離宮跡公園から城南宮へ ①鳥羽離宮跡公園 ~沼地に出来た史上空前規模の離宮跡

京都には桜の名所はたくさんありますが、しだれ梅の名所はあまり聞いたことがありません。そんな中、京都随一とも言われるしだれ梅の名所が城南宮です。社殿の西に広がる「春の山」では、150本のしだれ梅が薄紅色や紅白の花を咲かせ、春の訪れを告げます。特に同じ敷地に多数植えられたもう一つの名物 椿とのコラボレーションは、ここ数年SNSでも大人気です。

今回は「まいまい京都」が企画する「鳥羽離宮 枝垂れ梅と椿で一面春色、庭師とめぐる城南宮神苑~春の山から平安・室町・桃山の庭へ、史上空前規模の離宮跡~」というツアーに参加した時の様子を2回に分けてご紹介します。

1回目は、城南宮のある鳥羽の地に、かつて日本史上空前規模の離宮があったという名残を探して鳥羽離宮跡公園の周辺をご紹介します。

 

「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。

 

京都のミニツアー「まいまい京都」

ユニークなガイドさんと京都を歩こう!「京都・春のパンまつり!かわいい町家パン屋さんの工房へ」「ブラタモリ記念、京都高低差崖会と御土居でOh!」「京都本ライターと乙女なカフェめぐり」など、全260コース。
 
 

鳥羽離宮跡公園の場所

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鳥羽離宮跡公園の行き方

電車で

 ・地下鉄、近鉄竹田駅」下車、徒歩約25分

 

バスで

 京都駅八条口から 

  ・らくなんエクスプレス(八条口E①乗り場)で約5分「城南宮前」下車

   徒歩1分(平日のみ運行)

  ・市バス19系統(八条口F ②乗り場)で約22分「城南宮」下車徒歩2分

   1時間に1本運行

 京都駅烏丸口から

  ・市バス19号系統(C④乗り場)で約30分「城南宮」下車徒歩2分

   1時間に1本運行

 地下鉄竹田駅から

  ・竹田駅西口から市バス竹田駅18で約4分「城南宮」下車徒歩5分

 

バスで行かれる場合は、本数が少ないので、行きかえり共に運行時間を確認してください。

 

国道赤池から鳥羽離宮跡公園へ

今回のスタートは、鳥羽離宮跡にほど近い市バス「国道赤池」バス停付近からです。

ガイド三浦豊さんは京都生まれ。庭師の視点から各地の森や庭園を案内されています。今回のツアーでも随所に庭師としての独自の視点から、鳥羽離宮跡や城南宮の見どころを案内していただきました。

そんな三浦さんが最初に立ち止まったのは、国道赤池の交差点南東側。枯れた細い木が、歩道と車道の間のコンクリートからワシャワシャと生えています。この木は「秋楡(アキニレ)」と言うそう。

城南宮のある鳥羽の地は、鴨川と桂川の間の水郷地で、かつては巨大な遊水地・巨椋池がありました。境内は古くより「城南の森」と呼ばれ、深い森が広がっていたそうです。平安時代、城南宮の社は鳥羽離宮の守護神として祀られていたと言います。

二つの大きな川に挟まれたこの地は、ほとんどが沼地で、数えきれない洪水により土の養分が流された痩せた土地でした。秋楡はそんな沼地でも痩せた土地でもぐんぐん育つ、非常に生命力の強い木で、しかもとても大きく育つので庭木には適さないのだそう。道路脇に生えている秋楡は通行の邪魔になるので、大きくなると人が伐採するのですが、コンクリートの隙間のほんの少しの土を養分にして、また何度でも生えてくるそうです。何ともたくましいですね。

 

交通の要衝に出来た「院政」の舞台

この交差点から北西へと向かい、12世紀頃、白川上皇のお住まいとされた鳥羽離宮の南殿跡へと向かいます。

先ほども書いたように、このあたりは鴨川と桂川に挟まれた沼地だったので、道路を造成するために、この写真のように盛り土をしていました。そして、この盛り土の向こうの大きな道路は、現在は千本通ですが、当時は「鳥羽作道(とばのつくりみち)」という重要な道で、これは京の都のメインストリート 朱雀大路をずっと南へ延長したものでした。そしてちょうどこの辺り 鳥羽作道の南端は平安京の外港にあたり、つまりは交通・物流の要衝でした。しかも、貴族たちが狩猟や遊興を行う風光明媚な地としても有名であったため、古くからこの鳥羽には貴族たちの別邸が立ち並び、市が立つなど、都市として発達していました。

この写真の東側には、白河上皇が貴族から献上された別荘地を利用し大規模な拡張工事を行ってできた鳥羽離宮最初の御殿・南殿がありました。

現在は金網で囲まれた、だだっ広い空き地のようなグラウンドになっていますが、申し訳程度に「鳥羽離宮南殿跡」の立て看板がありました。

この鳥羽離宮は東西約1700m、南北約1100m、総面積180万㎡という日本史上最大規模の広さでした。白河上皇が建造し、その後 鳥羽上皇後白河上皇を経て、鎌倉時代後鳥羽上皇まで引き継がれ、いわゆる「院政」の舞台となりました。別名「鳥羽殿(とばどの)」「城南離宮」とも呼ばれています。

 

ガイドの三浦さんが参加者に配布された、鳥羽離宮の想像図です。左下に描かれている建物群が南殿です。南殿のすぐ左を通っている真っすぐな道が鳥羽作道でその道を地図の上の方へとたどると平安京の都がうっすらと見えていますね。朱雀大路につながっていることがわかります。

 

上の想像図の通り、平安京の中心・朱雀大路の延長線上に位置し、鴨川と桂川と巨大池泉に囲まれ「さながら都遷りがごとし」と表現されるほど大規模な離宮が誕生したのです。武士が力をつけてきた平安末期に、上皇がこのように新たな離宮を造営することで、仕事が生まれ、人が集まり、天皇家への崇敬の念が高まる…院政はこのような思惑から始まったのです。現在は、ただの空き地のような場所にその名残を見るのみですが、12世紀から14世紀頃は、政治や物流の中心地として発展していたと知り、栄枯盛衰とはこのことだなあと感慨深いものがありました。

 

鳥羽離宮跡公園の秋の山

さて、南殿跡の看板を確認した後は、更に北へと進み、「鳥羽離宮跡公園」へと向かいました。

こちらも古の上皇たちがお住まいだった離宮の面影はほとんど無い、広々とした公園で、現在は地元の子どもたちが元気に遊んでいるそうです。グラウンドの向こうに木々が繁っている向こうのこんもりとした土盛りは、鳥羽離宮の庭園に設けられた築山「秋の山」の遺構と言われています。手前にとても背の高い木が生えていますが、これは楠(くすのき)です。日本で一番大きくなる木だそうです。常緑樹で、南に行くほど元気に生えていることから「木偏に南」と書いて楠と読むそうです。

ちなみにこの楠も秋楡と同様、とても大きく育つため、人の力でコントロールすることが難しく、庭木には向きません。神社の御神木として、ひときわ大きな楠を見かけることが多いですよね。私は大きな木があるところに神社が出来たのかと思っていましたが、実は、神社に生えた木は、神域での殺生を避けるため、ほとんど切られないのだか。そのため、神社に生えた木は結果的に大きく育つのだそうです。順番が逆だったのですね。これは私にとってはとても大きな発見でした。

秋の山を登っていくと山頂付近には幕末の「鳥羽伏見の戦い勃発地」の石碑もありました。鳥羽離宮とは関係ありませんが、この辺りは交通の要衝であったため、何かと戦乱に巻き込まれやすい土地柄だったようです。

 

 

秋の山の傍らには、風光明媚は鳥羽離宮があったことを彷彿とさせる池があります。

秋の山は歴史上、様々な文献に記録が残っているそうです。例えば平家物語には「(池の辺を見渡せば)秋の山の春風に白浪しきりに打ちつけて 紫鴛白鴎逍遥す」(池の周りを見渡せば、秋の山に春風が吹き、白い波が寄せては返し、オシドリやユリカモメが気ままに歩き回っている)という風雅な記述もあるとか。

 

この後、鳥羽離宮跡公園を後にして、更に北へ向かい、京都南インターの手前あたりを見学しました。この辺りには、鳥羽上皇が建立された御所である北殿の東に「勝光明院」という寺院の阿弥陀堂があったそうで、宇治の平等院鳳凰堂を模して建てられたと言われています。現在は影も形もありませんが、もし残っていれば確実に世界遺産に登録されていただろう、とのこと。

勝光明院 阿弥陀堂の再現図

 

 

その土地の記憶をつなぐ木々

うまく写真を撮れなかったのですが、鳥羽離宮跡公園へ向かう途中や公園に入ってすぐのところなど、あちこちに秋楡の木や秋楡が伐採された跡がありました。痩せた沼地でも育つ秋楡はとても大きく育つ種類なので、人間が庭木としてコントロールすることが出来ません。そのため現在そこに秋楡があるということは、植えたものではなく自然に生えたものということ。日本はもともと国土の99%が森だそうです。そのため町であろうと田園であろうと森に戻ろうとするんだとか。鳥羽離宮建設以前の沼地にもきっと秋楡の森があり、離宮の主である上皇陛下たちも、きっとこの秋楡をご覧になったことでしょう、とガイドの三浦さんはおっしゃいました。

平安以前からそこに生えていたであろう秋楡のたくましさを見ていたら、京都駅に隣接する貨物駅の跡地に出来た「いのちの森」のことを思い出しました。

「いのちの森」は都市空間に京都の太古の森を復元することをテーマに作られ、下鴨神社糺の森(ただすのもり)など、市内に残る原生林を調査し、そこに生えている木を各地から集めて植樹し、森を作り上げたそうです。さらに、1996年に京都市営地下鉄東西線が開通した際に、伐採を余儀なくされた御池通ケヤキの木もここに移植されました。地元生まれ、地元育ちの木はやはり強いそうです。その土地の在来種だけで構成されたいのちの森は、なかなか外来種入って来られないので、たった25年で人の足跡なんて無かったように生い茂った森へと育っていったそうです。

 

いのちの森を訪問した時の様子です

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人間はその土地にあった自然を上手く利用して、自分たちに都合が良いように自然に手を加えたり、「自然を守ろう」としたりしていますが、自然にとってはそんな人間の意図は大きなお世話なのかもしれませんね。

 

人間の都合で伐採しても、また生えてくる秋楡を見つけることで、太古の昔のこの地の自然の様子を知ることが出来ました。また、この地に育つ秋楡によって800年以上昔の院政の時代と現代が地続きであることが分かり、とても身近に感じられました。

これは、庭師である三浦さんならではの視点で、とても興味深かったです。

 

今回はここまでです。

次回は鳥羽離宮の鎮護社とされた城南宮の「春の山」をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

タンタシオン・ダンジュ太子道店 ~こだわりの詰まったお菓子とカフェの誘惑

JR花園駅から徒歩10分余り、新二条通にあるタンタシオン・ダンジュ太子道店は、10年以上前から「幼稚園の近くにママ友御用達の人気のカフェがあるよ」と聞いて気になっていたお店でした。今回やっと機会があり訪ねてみると、評判どおりの素敵なお店でしたので、ご紹介します。(2023年10月訪問)

 

 

タシオン・ダンジュ太子道店の場所

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タンタシオン・ダンジュ太子道店の行き方

電車で

 ・JR嵯峨野線花園駅」より南東へ徒歩約13分

 

バスで

 ・市バス27、特27系統「馬塚町」から東へ徒歩約3分

 

 

JR花園駅からタンタシオン・ダンジュへ

今回のスタートはJR嵯峨野線花園駅」です。改札を出て、東(右手)へ向かいます。

 

東を向いたところです。南(右手)にJRの高架が見えているので、高架の下をくぐって南(右)へ向かいます。

 

この高架の下を南へ進みます。

 

高架の向こうの信号を渡り、西(右手)へ向かいます。

 

西へ向かってすぐ南(左手)へ曲がります。

 

突き当りを東(左)へ曲がります。

 

東へ向いたところです。右手に見えているのは太秦安井公園です。公園の北側の道を東へ400m程進みます。

400mほど進むと十字路に出るので、南(右)へ曲がります。

 

南へ向いたところです。この道を120mほど進みます。

 

とざわふとん店の横を南へ進みます。

 

とざわふとん店を通り過ぎ、谷口酒店の横も通りすぎ、さらに南へ60mほど進みます。

 

信号がある道(新二条通)に出ますが渡らずに、新二条通を東(左)へ曲がります。

 

東へ向いたところです。この道を進みます。道の右手に見えているのが安井幼稚園です。

 

安井幼稚園の向かいにあるのが、タンタシオン・ダンジュ太子道店です。

 

タンタシオン・ダンジュとは

店名の「タンタシオン・ダンジュ」はフランス語で「天使の誘惑」という意味だそう。「みなさまの心をお菓子で誘惑したい、そんなキモチでこの名前をつけました」とのこと。タンタシオン・ダンジュは京都市内に三店舗。本店は北区紫野(店舗販売のみ)、北区のわら天神店(カフェ併設)もあります。

 

太子道店は小さい個人商店がぽつぽつと立ち並ぶ新二条通沿いです。「こんな所にこんなに広々したおしゃれなお店が?」と、ちょっとびっくりする素敵な外観です。クリーム色の優しい色合いに三角のとんがり屋根、お店の周囲はグリーンに溢れ、入口近くにはテラス席もあり、どことなくカントリー風の心地よい空間が広がっています。

2023年10月に訪問したので、ハロウィンのカボチャがお出迎え

 

魅惑的なケーキやパンがずらり

入店すると出迎えてくれるのは、ガラスのショーケースにずらりと並んだ色鮮やかで美味しそうなケーキの数々。そしてショーケースの反対側にはこれまた魅惑的な多数の焼きたてパンと焼き菓子!店名の「タンタシオン・ダンジュ」=「天使の誘惑」の通り、美味しそうなスイーツの洪水で、誘惑だらけです!!

 

今回はランチを目的に伺ったので、店内奥のカフェへ進みます。

 

心もお腹も大満足なランチ

カフェは二階建てで、一階、二階は禁煙席で各30席、テラス席は喫煙可で6席だそうです。

テーブルとテーブルの間も間隔が広く取られていて、ゆったりと食事が楽しめそうです。

 

カフェはセルフサービス方式です。まずショーケース横で注文と会計を済ませて番号札を受け取り、料理が出来上がったら番号を呼ばれるので、カウンターに受け取りに行きます。お店のスタッフの方はケーキやパンを作ったり、販売や会計、カフェの調理も少人数でこなしておられるので、このセルフサービスのシステムはとても合理的だなあと感心しました。

 

ランチメニューは日替わりのシチューがメインの「日替わりランチセット(税込み1298円)」とオムライスやハンバーグ、パスタなどの週替わりフードがメインの「週替わりランチセット(税込み1694円)」の二種類。私は「日替わりランチセット」をオーダー。日替わりのランチにはグリーンサラダ、スクランブルエッグ、ミニヨーグルトとドリンク、店内で焼き上げたパンの食べ放題がつきます。(週替わりランチはメインにグリーンサラダ、ドリンク、食べ放題パンがつきます)

 

オーダーを済ませたら番号札を受け取り、席を取ってからドリンクとパンのコーナーへ!

ドリンクはコーヒー、紅茶、アイスミルク、オレンジジュースとグレープフルーツジュース、パンはナッツやドライフルーツ、チョコやさつまいもなどの入った一口サイズのパンが数種類。ビニールの手袋をして感染対策もばっちりです。どれにしようか迷いましたが、私はオレンジジュースと、さつまいも、くるみとレーズンのパンをチョイス。

 

そうこうしているうちに、番号が呼ばれ、メインのプレートを受け取りました。

日替わりのシチューはかぼちゃのシチューでした。メニューには書いて無かったポテトサラダとオレンジもついていました。

これだけ色々ついて、パンも食べ放題!何てお得なんでしょう!

シチューはかぼちゃの自然な甘さが感じられて、チキンのうま味も出ていてコクがあります。スクランブルエッグは卵がたっぷり使われていてボリューム満点、トマトソースが卵とよく合います。

ハード系のパンもそれぞれ素材の味がしっかり出ていて、とっても食べ応えがあります。そして、オレンジジュースもフレッシュオレンジを絞った感じの美味しいジュースでびっくり!

後で知ったのですが、同店では「人工のものを避け、自然のものだけを使うこと」を大切にし、旬のフルーツを中心に安心、安全で高品質の材料を使用しているそうです。写真を撮り忘れましたが、チョコ入りのソフト系のパンもお替わりしましたが、これも優しい甘さのチョコがふんわりしたパンに絶妙にマッチして、とても美味しかったです。ランチにプラスしてケーキを注文すると、ケーキ代金が50円引きになるのですが、ランチが思いのほかボリュームがあり(パンもお替わりしたし(笑))もうお腹がパンパンだったので、この日はケーキ断念。大満足のランチでした。

 

リラックスできる秘密基地のようなカフェ

タンタシオン・」ダンジュではお店づくりのこだわりとして、「ゆっくりとケーキやランチを食べてくつろいでほしい」「リラックスできる秘密基地と思っていただければ嬉しい」と公式サイトに書いておられます。太子道店のテラス席ではネコを飼われているようで、ネコちゃん専用の小さなテントが設置されていました。

カフェの大きな窓からはテントの下でくつろぐネコたちが見え、お客さんたちもそれを見て微笑んでおられました。何とも癒される光景ですよね!

また、太子道店のテラス席はワンコの同席もOKだそうですよ。お天気の良い日に散歩の休憩がてらテラス席でワンコと一緒にお茶というのも素敵ですね。

 

私が訪れた日は、若いママ友風の二人連れや母子連れ、年配の女性4人組など様々な方が来られていました。店内が広々しているので女子会やママ会も出来そうです。

 

タンタシオン・ダンジュのインスタグラムでは、季節ごとに登場する旬のフルーツを使用したケーキが随時公開されています。次々シェアされる瑞々しいケーキの写真を眺めているだけでも幸せな気分になります。その他、定番のベイクドチーズケーキや直火焼きバウムクーヘン、レモンケーキなどもこだわりがたくさん詰まった人気商品とのことです。また近いうちに、今度はカフェでゆっくりとケーキとお茶をいただくのもいいなと思いました。でも、あまりに魅惑的なケーキが多すぎて、選ぶのにすごく時間がかかりそうだし、一個では済まなくてお土産も色々購入してしまいそうです。

花園駅の近くには妙心寺や法金剛院もありますので、観光のついでに訪れてみるのも良いのではないでしょうか。

 

 

 

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瀧尾神社 ~拝殿天井から木彫りの龍が見守る小さな神社

瀧尾神社は京阪東福寺駅から北へ徒歩3分ほどのところにあります。小さな神社ですが、江戸時代の彫刻家による木彫りの数々が素晴らしく、特に拝殿の天井に据えられた木彫りの龍は全長8mと他に類を見ない巨大なものです。辰年にちなみ、この素晴らしい龍を一目見ようと瀧尾神社を訪ねました。

 

 

瀧尾神社の場所

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瀧尾神社の行き方

 JR、京阪電鉄 東福寺駅より徒歩約2分

 

東福寺駅から瀧尾神社への行き方

今回のスタートは京阪電鉄東福寺駅です。JR東福寺駅で降りても、京阪の改札への連絡路がありますので、京阪の改札口を目指してください。

 

改札を出たら、ファミリーマートの角を北(左)へ曲がります。

 

 

北を向いた所です。この道を140mほど進みます。

 

140mほど進むと右手に瀧尾神社が見えてきますので交差点を右へ曲がります。

 

瀧尾神社に到着です。

 

瀧尾神社とは

創建年代は不詳ですが、平安末期に書かれた『源平盛衰記』には「武鵜ノ社(たけうのやしろ)」という記述があることから、この頃には存在していたようです。応仁の乱により焼失し、日吉坂に移転した後、天正14年(1586)に豊臣秀吉方広寺大仏殿を建立したことに伴って現在地に遷座しました。その後宝永年間に江戸幕府の命令によって改築され、社号も現在の「瀧尾神社」と改称しました。

現在の社殿は、江戸時代後期の天保10年(1837)から翌11年にかけ、大丸の創業家である下村家により整備されました。

主祭神大己貴命(おおむなちのみこと)で他に大黒天(大国主命)、弁財天、毘沙門天の三神も祀られています。

 

瀧尾神社と大丸

瀧尾神社の鳥居のすぐ後ろにある提灯に大丸の文字が見えますね。これは大丸の創業者である下村彦右衛門正啓が自宅のあった伏見京町から行商へ行く道中にあった神社に毎朝必ず参拝していたことに由来しているそうで、後に大丸が繁栄したことから代々下村家より崇拝されてきました。天保10年から翌年にかけて、下村家が2500両(現在の貨幣価値で約5億円!)をかけて本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎が整備されました。

 

境内南西側にある絵馬舎には、丸に大の字をあしらった大丸ののれんの掛かった かつての店舗の絵が架けられていました。

 

 

拝殿から見守る木彫りの龍

鳥居をくぐってすぐ目の前にあるのが拝殿です。この拝殿をはじめ、境内奥の本殿や幣殿、拝所、回廊はそれぞれ京都市指定有形文化財に指定されています。

 

 

瀧尾神社の一番の目玉は、何といってもこの拝殿の天井にある木彫りの龍です。お寺に龍の天井画があるところは、京都でも建仁寺大徳寺妙心寺などが有名ですが、天井に木彫りの龍というのは珍しいのではないでしょうか。

拝殿の上まで上がって間近に木彫りの龍を拝観できるのは当初1月8日まででしたが、1月末まで延長されたと聞き、一月末に拝観してきました。その後更に特別拝観が延長され、2月末までになっているようです。

その木彫りの龍がこちらです。

 

江戸時代後期の彫刻師である九山新太郎が制作した全長8mにも及ぶ木彫りの龍は、拝殿の天井いっぱいに長い体をぐるりと這わせ、今にも動き出しそうで迫力満点です。

 

角度を変え、龍の顔付近をアップにしてみました。龍が持っているという金の宝珠も見えました。ギョロリとした目は生き生きとして、長く伸びたひげも躍動感があります。

 

 

もともとの木の木目を生かして、龍の鱗の質感がリアルに表現されています。

 

この木彫りの龍があまりに躍動感があるため、当時は「龍が夜な夜な拝殿を抜け出し、瀧尾神社の近くを流れる川に水を飲みに行く」と恐れられたそうです。困った神社は龍が抜け出せないように、拝殿の天井に金網が張られたという逸話もあるんだとか。

現在、その川は暗渠化されているからか、龍が抜け出す心配は無くなったようで、天井に金網も張られていません。

 

瀧尾神社の龍と祇園祭の大船鉾

この木彫りの龍を制作した彫物師の九山家は当主が代々九山新之丞を名乗り、その一派は祇園祭に登場する大船鉾の龍も手掛けたとされています。禁門の変で焼失した大船鉾を2016年に再現した際には、現・九山新之丞が船首の龍頭のモデルとして瀧尾神社の龍を参考にしたそうです。

そんな深い関係もあってか、令和5年の祇園祭では瀧尾神社の佐々貴宮司と、瀧尾神社の維持奉賛会である誠龍会の奥田会長が大船鉾を先導したという写真が、

【公式】瀧尾神社 誠龍会 京都にありました。

 

本殿周辺にも見事な彫刻の数々が

瀧尾神社の本殿は、貴船神社奥院旧殿を移築したものだそうです。この貴船神社のご祭神である高龗神(たかおかみのかみ)は水を司る龍神ということで、龍の彫刻がつくられたり、瀧尾という社名が龍を連想されるのも、そのようなつながりがあるのかもしれませんね。

 

 

さて、瀧尾神社は龍の木彫りが有名ですが、本殿やその周辺にも、精密に彫られた見事な彫刻が多く見られます。

 

本殿を取り囲む透塀の上部には、十二支の像が彫られています。探して見て回るのも楽しいですね。龍やトラの目には玉眼が用いられています。薄暗い中で、瞳が輝いていて、まるで生きているかのようです。

 

ネズミとウシ

 

トラとウサギ

 

龍とヘビ

 

ウマとヒツジ

 

サルとニワトリ

 

イヌとイノシシ

 

本殿の拝所にもゾウや龍、様々な鳥などたくさんの動物の木彫りで埋め尽くされ、見ていて飽きることがありませんでした。



瀧尾神社の摂社末社

瀧尾神社の境内には摂社末社もあります。

本殿の西側には三嶋神社があります。ご祭神は大山祇命、木之花咲耶姫、瓊瓊杵尊をお祀りしています。例年10月には三嶋神社の眷属(神のお使い)がウナギとされているため、三嶋神社の祈願所で鰻放生大祭が行われるそうです。

 

三嶋神社の更に西奥には、愛宕神社・大丸繁盛稲荷・金刀比羅宮・瀧尾天満宮が祀られています。

 

 

瀧尾神社は街中にある小さな神社ですが、辰年の今年は木彫りの龍を目当てに多くの参拝者で賑わっていました。私が参拝した折に、お守りを授けていただこうかと社務所を覗いてみると、なぜか摂社の三嶋神社のお守りやお札、おみくじばかりが置いてありました。瀧尾神社のお守り、おみくじ、お札等は全て完売したそうです(1月末現在)。今年の瀧尾神社の人気ぶりがうかがえました。

たくさんの参拝者の思いを受けた木彫りの龍の生き生きとした姿にあやかり、元気でパワフルな1年を過ごせたら良いなと思いました。

最寄りの東福寺駅からは、駅名の通り東福寺泉涌寺なども徒歩圏内にあります。是非瀧尾神社と一緒にお参りください。

 

 

東福寺については以下で詳しくご紹介しています。

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伏見神宝神社 ~狛龍が護る、竹林の中のパワースポット

伏見稲荷大社と言えば朱塗りの鳥居が無数に続く千本鳥居があまりにも有名ですが、その千本鳥居をほんの少し横道に逸れた山道の先にあるのが「伏見神宝神社(ふしみかんだからじんじゃ)」です。伏見稲荷の境内に隣接しているものの摂社や末社ではないため、伏見稲荷の案内図にはその存在が記載されておらず分かりづらいのですが、今年の干支 辰年にちなみ、龍に深い縁のある神社と知り訪ねてました。

 

 

伏見神宝神社の場所

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伏見神宝神社の行き方

電車で

 ・JR奈良線稲荷駅」下車 徒歩約12分

 ・京阪本線伏見稲荷駅」下車 徒歩約15分

 

バスで

 ・京都市バス 南5系統「稲荷大社前」下車 徒歩約16分

 

JR稲荷駅からの行き方

今回のスタートはJR稲荷駅です。JRと並行して京阪電鉄も西側を走っており、京阪の駅は「伏見稲荷駅」です。JRの駅の方が伏見稲荷には近いです。

 

改札を出ると、ほぼ正面が伏見稲荷大社です。

 

正月三が日を過ぎた平日の午前中ですが、すでに多くの参拝客で賑わっていました。

 

 

本殿は人が多すぎたので写真を撮っていませんが、お詣りしてから本殿左奥の鳥居をくぐり、千本鳥居へ向かいます。

 

階段を上り切ると、「千本鳥居」の案内表示があるのでそれに従い右側の鳥居へ向かいます。

 

この鳥居をくぐった先の階段を上がり、右へ進みます。

 

千本鳥居の入口です。多くの参拝者がこの写真を撮影するのに順番待ちしていました。(私もその一人(笑))

 

しばらく進むと、下の写真のように千本鳥居は二列に分かれています。昔はどちらを通っても良かったそうですが、現在は混雑対策として、右側通行になっています。

 

 

千本鳥居をしばらく進むと最初に鳥居が途切れた先にあるのが奥社法奉拝所(①)です。

(境内地図は伏見稲荷大社の公式サイトから拝借しました)

 

 

奥社奉拝所は一般的には「奥の院」と呼ばれています。この奥社奉拝所はお山を遙拝するところで、稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置しています。私が訪れた時はこの拝殿は白いテントのようなものに覆われていました。

奥社奉拝所の手前の左側にある千本鳥居を進みます。写真左下の「根上りの松」(地図②)の案内が目印です。

 

千本鳥居を10mほど進むと、数mだけ鳥居が途切れた参道の右手、「根上りの松」の向かい側あたりに神宝神社の案内板があります。「徒歩2分」と書かれています。

千本鳥居を進む人の波にのって油断していると通り過ぎてしまうので、右手に注意しながら歩いてください。

 

案内板に従って右へ曲がり、舗装されていない登山道のような道を登って行きます。

 

すっかり山道です。

 

2分ほど歩くと、石の鳥居が見えてきます。伏見神宝神社に到着です。

 

伏見神宝神社とは

伏見神宝神社の創建は平安初期、かつては稲荷山山上にまつられていたそうですが、応仁の乱以降荒廃し、昭和32年(1957)現在の場所に再建されました。

主祭神として天照大神稲荷大神、十種神宝(とくさのかんだから)を祀り、社名の神宝は十種神寶(寶は旧字体の宝)に由来します。

この十種神宝とは沖津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品品物比礼の十種を総称し、瑞の宝(みづのたから)とも言います。

祝詞に「布留部由良由良、玉響かして死れる人も反りて生きなん(困ったことがあったら、この宝をゆらゆらと振るわせなさい。痛みや苦しみが消え去り、死んだ人をも生き返ることでしょう)」とあるように、神宝は病める者への加持祈祷に、そして鎮魂祭の古儀の中で用いられてきたものだそうで、まさに最強の神器だそうです。

 

狛龍が護る拝殿

さっそく境内に入ると、正面に拝殿があり、「神寶宮」の扁額が掛かっています。その前には、狛犬ならぬ左右一対の狛龍が拝殿を護っています。

 

向かって左が「地龍」、右が「天龍」で、天龍はあらゆる願いをかなえてくれるという「如意宝珠」を持っています。

 

龍頭社

境内にはいくつかの摂社が軒を連ねており、拝殿の向かって左側にあるのが龍頭大神をまつる「龍頭社」です。こちらは稲荷山の地主神と言われ、龍頭を「りゅうず」と読み、西陣織の横糸をかける金具を意味することから衣を守護する神でもあります。

また、龍頭大神は「竹取物語」にも由来するご祭神とも言われています。かぐや姫が求婚者の一人大伴の大納言に「龍の頸に五色に光る玉あり、それをとりて給へ」と難題を出した、その五色に光る玉を持つ龍が、この龍頭大神だそうです。

 

お社の横には水の中から頭を出している龍の像(龍頭)があり、頭を撫でて祈ると願いを叶えてくださるとか。

 

稲荷山遥拝所と磐境(いわさか)

境内を更に奥へ進むと、ちょうど拝殿の真後ろあたりにあるのが稲荷山遥拝所です。朱塗りと、国内でも珍しい竹の鳥居が二重に立つその下には、俗名タケノコ石という磐境(神の降臨石)が祀られています。こちらから一直線上に稲荷山の一の峰があり、稲荷山の神様に通じる場所とされているそうで、境内でも特に強い気を放つパワースポットなのだそうです。

 

稲荷山遥拝所の鳥居の左横には「かぐや姫」のゆかりの地であることを顕彰する石碑もありました。

 

その他の摂社・末社

その他、伏見神宝神社の摂社、末社として以下のお社があるようですが、具体的にはよくわかりませんでした。

「底津岩戸社」大宮能女命:一説には天の鈿女(あまのうずめ)と同格の大変芸能に堪能で人気を呼ぶ神様を祀っているそうです。

「布留社」白菊大神とも呼ばれ、昔は五条通にあった小さな祠が道路拡張のため無くなってしまったことを惜しみ、この地に遷宮されたそうです。大和の布留社(石上神宮)と地下水脈でつながり、白い布が流れついたという伝説があるそうです。

 

 

 

おもかる石

伏見稲荷大社奥の院にある「おもかる石」はいつも大人気で行列が出来ていますが、こちら伏見神宝神社にも「おもかる石」があります。

竜の頭を象った何とも愛嬌のあるおもかる石ですね。

石の横にある「おもかる石の占い方」によると

①一礼

②願いをかけて「軽くなってください」と願い、石を持つ

③(その)結果(自分の予想より)軽く感じたら、その願いは叶う

というものです。

こちらのおもかる石で今年の願い事が叶うか運試しするのもいいかも。

 

叶雛(かなえびな)

千代紙を人の形に折った「叶雛」は、内側に願い事と名前を書いて奉納し、祈願します。カラフルで美しい千代紙から自分の好みの柄の千代紙を選ぶのも楽しいですね。



龍みくじ

社務所では叶雛でけでなく、御朱印、お札、絵馬やおみくじなど様々な授与品があります。私は辰年にちなみ、龍を象ったおみくじを授与していただきました。

 

竹之下道

伏見神宝神社の鳥居の前を通り過ぎて少し奥へ進むと「竹之下道」があります。嵯峨嵐山の竹林とはまた違った趣の美しい竹に囲まれたこの道からも稲荷山のお山巡りが出来るそうです。私がすれ違った参拝者はほとんどが外国人でした。日本人はほとんど歩いていないのに、皆さんよくご存じだな、と感心しました。

 

 

京都でも最大の参拝者数を誇り一年中賑わう伏見稲荷大社の境内地に隣接しながら、美しい竹林に囲まれた静謐な空間にある伏見神宝神社ですが、実は最強のパワースポットでした。十二支の中で唯一空想上の生物である龍は、天に昇る様子から成功や発展の象徴として、縁起が良いとされています。新しい年が良い一年となるよう、神のお使いであるたくさんの龍に護られた伏見神宝神社へ参拝してみませんか。

 

この他にも龍にちなんだ寺社をご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

 

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